イカシタ板っきれ

ギブソン レスポール・ゴールド・トップデラックス
1972年頃購入

最初に、紹介した、ES175はムーンライダーズに入団したばっかの頃に使用していたのですが、ハウりやすかったのは我慢できたけど、やっぱギターが分厚くてかっこ悪いんだな!

どこのイヴェントに行っても対バンの人から『渋いっすねえ、このギター』なんて言われるのですが、なァ〜んか「なァんだ、おめえこんな分厚いギター使ってんじゃねぇよ!ブルーコメッツじゃあるめえし!ロックだろ!ロック」なんて言われてるようで、うしろメティックだったんよ。

そいで苦しい借金生活もなんとかなりそうになってきた'79の春、誰かに御紹介いただいて、湯島の楽器屋、アメリカ帰りの人が始めたとかいう「ナントカ?楽器」に行くわけだ。そこのおっさんに勧められたのがこのレスポール・デラックス・ゴールドトップなのです。16万円。もうすでにディマジオのスーパーディストーションというピックアップがはめ込んであって、まだ駆け出しの僕はそのスーパーっていう言葉にやられたようだ。

弾いてみると、確かにバリバリしたサウンドで単にヤカマしいだけだったのかも知れないがガチコチ感で買うことにした。日本信販で借金して苦労の日々がまた始まるのです。

ギブソン レスポール・ゴールド・トップデラックス

今回は写真たくさんです。

1. '79年の冬ツアー 大阪の毎日ホール。

この頃は全員ビギのスーツに福助の地下足袋(これは嘘)。とにかく決まっていたんだぜ。ちょっと暗くて解りにくくでごめん。モッジーなスタイル。ちなみにこのジャケットはずっと持っていたんだけど、'88〜9年くらいにピローズのヴォーカルの山中にあげてしいました。かれはモッジーマンで凄く気にいってくれたのです。

2. これも'79年頃。まだ若くて痩せとるのー!

高田の馬場のビッグなんとかの中にあった日立ローディプラザでの、生録ライヴ。生録秋葉君達ばかりの前でトラのタキシードでがんばるの図であった。

3. '79年9月の女子美の学園祭出演のリハ風景。

ぼく、これ個人的に大村憲司さんに似ているなあと思っている。あくまで個人的にだ。僕は憲司さんのような正確なプレイはなかなかできない人間なのだ。憲司さんの出演したFM東京の番組をエアチェックして密かにコピーしたことがある。スタジオのセッションでもよく一緒にプレイした。

最初は緊張したが、慣れてくると無情の喜びであった。多くのことを教えてもらった。言葉ではなく,プレイを注意深く聴くと細かいとこの処理というか演奏が実に丁寧だった。実体験としてこれからもワケエ連中にデンタツィングするつもり〜〜〜。

4. この頃、我々は良くいろいろなシンガーの方のバックで演奏した。ムーンライダーズオフィスをキープするためだ。古谷一行、水谷豊、岸田智史、堀内孝雄(ベーヤン)等々。

これはベーヤンのコンサートでの楽屋風景@中野サンプラザ。

このころ僕はVANフェチでどこの土地に行っても必ず、服屋へ赴き失われたVANを求めて歩いた。着ているのはVANのポロシャツとケントのジャケットです。

5.大笑いのアーチスト写真。

おふくろに三文芝居の役者と笑われた化粧に凝っていた青の時代。家から化粧してそっと出て行くんだけど、おふくろにめっかっちゃうの。そうするってえと「あっ化粧してる。オカマー!」だって。

いつの世もパイオニアはつらい。トホホホ(涙)

6. '79年9月の女子美学園祭本番!

ブルーのラメパンスト,ギンガムチェックの海パン、メガネティーシャツと愛器、レスポール。

7. 同じく。ギターソロで客席に降りたところ。


(2001.02.19)

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