「素朴で過激な毎日」の紹介

スマスマを支える地味なスタッフ達
2000年1月16日(火)&2月5日(金)収録 SMAP x SMAP 2月12日OnAir(ゲスト:相 川七瀬)/3月12日 OnAir(ゲスト:沢田研二)

時は2000年12月最後の方、一本の電話が私のケーテーに鳴り響いた。僕はチャクメロにロマンを感じないタイプで、あれは野暮だと思っている。田舎くさいと思っている。浴衣を着て雪駄をならすの同じでほんとの粋ではないと思っている。とにかく飯屋でケーテーを鳴らす奴は最低だと思っている。よって僕は地響推奨派である。あれも心臓に良く無さそうですが、複雑な現在に於いては仕方なきこと悲しいまでのこと。「スマスマの音楽の依頼がありました」と。僕はその時感じた。これで関係のないジャニーズ関係のタレントさんは野村のヨッチャンと田原俊彦を除いていなくなったと。シブガキ隊は昔、物理的な理由でお断りした経験があまりりす。

僕は僕のところに来る依頼は全てやる主義であります。営業?とかボーイズミュージックとか決して思わずに、自分を指名してくれたことに誇りを感じて、プロである以上全力を尽くすことにしている。死ぬ3秒前に「あ!あの時あの仕事受けていればよかった」とか、「あ!あの時あそこでキスしちゃえばよかった」とか思わないためにだ。母親はかつて幼い僕にこう言った。「おまえは労働者になるのよ!何故かと言うとお前の手はゴツイから。ね!そうしなさい!人間には持って生まれた運命があるの。私にはそれが分かるの」

恐ろしい母親であった。身分限定サブリミナル教育者であったのだ。その言葉に僕はなんら違和感を感じることなく、少なくとも13歳まではそう思っていた。

フジテレビの黒木さんが小宮ホテルのロビーにうちあわせに見えたのは、2000.12.30の2:00であった。ぎりぎりギッチョンチョン。ま〜るいジョンレノン風の眼鏡に髪型はマッシュルーミー、よこには唇がちょっと荒れていた若い出口さんがいらした。この方達こそ、視聴率25%の番組を支える現代の英雄コンビ弥次さん喜多さんであったのである。昔はこれぞテレビ局の人、という雰囲気があったものだが、今はない。単にわしが年じゃということじゃ!黒木さんは奥様が熱烈なムのファンで(これはからはムーンライダーズをムと略します)その影響でファンになられたらしい。僕よりムのことは詳しかった。バッチリ打ち合わせをし、かくかくしかじかで解散。のちに演目と感じを打ち合わせて、僕が家のプロトゥールズで大体のデモを作り、変更点を話し合い本番に突入!!てえ訳だ。

さてここで僕が本題にしたいのは、あれだけの好視聴率を誇るティーヴィープログラムの光りと影。全ての世界にあることですので全然悲しくもなんともないのですが、みなさんの中にはメイキングオブを知りたい方もいらっしゃると思いますので、乞う御期待。


1.全員集合

写真1佐藤君ち

エンジニア佐藤君の家にて。2001.01.16。スタジオイヤシンス。このイヤシンスというスタジオ名のゴッドファーザーはないを隠そう番長であります。普通の新築の素敵なお家ですが、今はこう言った家の中にも立派なスタジオができるのです。そばにかなりカルトな日本そば屋あり。店中チョウチョの標本だらけ。一瞬キムチワリーが、客席は肉体労働者の方々で一杯。
なんせ人気番組「SMAP X SMAP」の音楽はこう言った家のなかで作られるのだ。しかし、全国ネットでながれる以上、完璧なものが要求される。よって優れたサウンドプロデューサー、エンジニア、プログラマーの頭脳が必要とされるのである。分かるねえ!わかっとるわかっとる。よって必然的に白井良明、佐藤雅彦、大石(蔵之助?)が選ばれるのである。


2.佐藤、大石選ばれし秀才達

写真2佐藤、大石ツーショット

メドッレーである。あそこのコーナーはゲスト時はメドレー。イントロはまず「恋ゴコロ」。コッコのイントロでもかましたE-bowでひと泣き!そして大ロックでゴビンゴビンのブレイクアウト。続いていまプロ野球ニュースで流れている「ダンディライオン」から最後は「ダイナマイト」でフィナーレ。ハデハデでよかよか!それにしれも仕事場は地味でっせ。