すすきが揺れ、鈴虫キリリリキリリリ
我思うゆえに我有り
今年はかなりのステージをやってきている。これからも続きますが・・・
変なくくり方で申し訳ありませんが、スィンガー、ギタリスト、プロデューサーという括り方をしたとすると、スィンガーのエリアに今いる気がしています。
昔から解っていたんだけど、ドラムベースキーボードがいてもいなくても、イカシタ音楽ができないと!っと思ってた部分はかなりありました。高橋、竹山、スティーヴィーレイヴォーン、エルトンジョンなどはひとりっきりでの見事なまでにオーケストレイション化されたソロをやっておりまして、磨かれ積み込まれよく磨がれた表現はものすごい迫力とさらにその向こうに完成された人間自体が見える程でありました。
なにごとにも揺るぎのない自分をキープしていればひとりで充分いいのだと思っておりました部分もありました。ビルの何階かに居て、ソファーに寝転んでて、突然ソファーもビルもなくなっったら落っこちて死んでまう。しかし、音楽的にはそれでもヘッチャラでないと、と思っているたんだ。
本来的にかんがえれば、自分ひとりで完成された楽曲にたまたま伴奏がついている?という・・・・
でも実際音を作りはじめるとだんだんとドラムをいれ、ベースをいれ、キーボードないとちょっとなぁとか言っちゃって、かなり分厚きサウンドを奏でてしまう結果となっていたのであります。それはそれでいろいろな楽しみ方ができてよいのですが、年をとるごとに必要なものとそうでないものがハッキリしてきていつまでもウジウジせずにスパっとした決断をくだすようになる。
これは人生結構やってきた予感からくる「時間ないぞ〜!」信号が自分を導いていると思えてしかたがない。
伴奏にいつまでもすがりついている演奏は、僕は一発で聞き分けられる。音の理論武装 ってのはどうも頂けない。成長感の少ない、孤独を恐れた、小林旭的でない人生を歩んでるのがわかる。結局誰かを頼った人生を歩むことになるでしょう。
米を削って削ってけずり抜いて、そういった音の純度をあげていったところになにが見えるのか?音の大吟醸状態にはなにが見えるのか?
それは人間香とでも申しましょうか?ほのかで、ノンケミカリー、ケミカルよりも力強く思い遣りがあり、美しい。(ここで言うケミカルとはテクノやケミカルミュージックなものを指しているのではもちろんありませんぞ)
なにものにも動じない不動ニュートラリズム明王的存在。ウムム〜秋だなぁ!最近興味があるのはその辺りなのです。
秋に思う、ゆえに秋有り。音楽は聞いているひととやってる人の心のヒダが共鳴しあって感動イングになるもの。それはリズム。ビートを刻むのがリズムではなくて心にリスナーがカンジルモノ。
メロディーもこころでオーディエンスがうたうもの。会場全体にその波動を演出するのがミュージシャンの役割。
語っちゃったなぁ!
なんか語り過ぎはよくないなあ!スミマセン。
10/26はそんな僕の遅すぎるくらいのソロソロ大作戦だねぁ。
先祖を訪ねる歌でもうたおうかな!
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