沢田研二さん「Miscast」 当時沢田研二といえば ニューウエイヴというジャンルが流行っていて、そのとんがったサウンド作りとトッポイ感覚が目新しく日本中はピコピコキコキコしていたのであります。ムーンライダーズもその洗礼を受けいち早くニューウェイヴの貴公子(笑うまい!)とまで言われてはいなかったけど、まあまあだったのですよ。 「ミスキャスト」というアルバムは・・・加瀬邦彦さん(ワイルドワンズのリーダー)と当時渡辺音楽出版の木崎さんの共同プロデュースで、全詞曲井上陽水、編曲はどこの馬の骨だかわからない白井良明、演奏エキゾティックス、ヴォーカルはもちろん沢田研二という文字どおりのミスキャスト、という筋書きがまず初めにあり、そこからスタートしたコンセプトアルバムであったのであります。 ある朝例によってまだ寝ていた僕に一本の直接電話がはいります。渡辺音楽出版の木崎さんからでした。電話口で僕は当然ボーーーーーーーっと聞いていました。「今度ジュリーのアルバムで全面的にアレンジして欲しいんだけどなぁ!」という電話。ぼくは「はい、判りました。」的な返事。つうか寝ていたのではっきり覚えていないのです。早く電話切りたくて、結構ツッケンドンだったような記憶があります。木崎さんごめんなさい。でも午後1時ころ起きて、「たしかさっき木崎さんから電話あったよな?夢みてたのかな?」なんて思ってたらオフィスからも連絡がきて「そっかやっぱりか!でもなんで俺なんかに?」なんて思っていたんすよ実は。真相は木崎さんや加瀬さんに聞いてみないとワカンナイッスがね・・・僕の想像ではムーンライダーズを彼等も聴いていてそう思ったんだろうし、エキゾティックスも推薦してくれたんじゃないか?と思うものであります。 その近辺の沢田さんは伊藤銀次がアレンジを担当していて「ストリッパー」、「渚のラヴレター」などがチャート入りしていましたが、僕はまず、シングルを担当することになります。「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」とB面のなんとかっていうのをアレンジしました。最初はB面の「なんとか」が候補でありましたが、やって行くうちに「六番目・・」の方がいいということになったみたいですね!対抗馬が本命を打まかすことは業界では結構多くそれでヒットした例は数限り無いです。 この2曲に関しては僕はかなり時間を使いました。この頃はまだ古き良き時代というか、まあ沢田さんだし、時間は豊富に使えたのであります。26時間の男とか言われました。なぜ?って、一日26時間はスタジオにいたからです。(笑)この2曲の成功とまじめ?な仕事っぷりが歓迎され、一員に加わった白井は次にアルバムのサウンドプロデュースへとスライドしていくのであります。 このアルバムではエキゾティックスという沢田さんのプライヴェイトバックバンドがいましてそこのメンバーと飲食を共にし(大袈裟!)、音を創りあげていくのでありますが、今思うととても秀逸なミュージシャンぞろいでベースは吉田健(いまや押しも押されぬ大プロデューサー)、西平彰(宇多田ヒカルのアレンジで有名)、わが心のブラザー柴山和彦さん、モデルもしていたやっさん、数々のセッションドラマーとして多忙であったユカリなどがいたのである。彼等プラス白井良明、岡田徹という布陣!もの凄い!!メンツィングであります。これに加瀬さん木崎さん達とあーだこーだ言いながらサウンドシティで延延やる訳です。結構木崎さんはしぶとい仕事をされる方で、かなり僕との衝突した覚えがあります。がやはり彼も大プロデューサーでありまして、その後も大沢誉志幸、槙原紀之、トライセラトップスなど、数々のアーチストを輩出されております。 まだ僕も生意気な頃でありまして、随分みなさんに失礼なことも言ったと思うし、あまりに時間をかけるので途中から加瀬さんや木崎さんもあまり来なくなってしまって、かなり今では反省しております。ただ、出来上がったものはとても評判が良く、当時のミュージックマガンジンで中村とうようさんはなんと9点をつけてくれたのであります。中村とうようさんといえば辛口評で知られ、7点が限度であった方ですので、当時の「ミスキャスト」がとても衝撃的でったことは事実であります。 あっそうだ!思い出した。それと当時ムーンライダーズオフィスに所属していた野宮真貴ちゃんも参加してるんですよ〜っと。沢田さんにもドラムをたたいてもらっちゃったり、エギゾティックスのメンバーと僕とローディ全員総勢15人くらいで同じフレイズを弾いたり、アイデアに溢れ、自由と夢満載のレコーデイングであり、まさにジュリーにとってのサージャントペパーズになったと自負しております。 そうこうしてできた「ミスキャスト」は僕にとって一番最初にしてとても大きなプロデュースものでありまして、自分の宣伝にもなり、その後もいいオファーがたくさん来て売れっ子プロデューサーになって行く訳です。ナンチッテ(奢)。ただ言えるのは一日3〜4時間の睡眠で、一ヶ月以上レコーディングできたのも、若さの賜物ですな!善かれ悪かれ、その後の僕のプロデューサーライフを決定づける結果になったのであります。 御静聴ありがとうございます。 (2001.04.28) |
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